第46回日本文化塾 講演会
日本近世の瞽女と瞽女唄
─音楽に従事する女性として、視覚障害者としての自立
講師 | ジェラルド・グローマー氏(山梨大学大学院教授・民俗音楽学研究家) |
日時 | 2016年6月8日(土曜日) 14:00~16:00(13:30開場) |
会場 | きゅりあん(品川区立総合区民会館5F)第3講習室 |
参加費 | 会員 1,000円 / 一般 1,200円 参加費・資料代として、当日会場にて申し受けます。 |
女性として、視覚障害者として、また多くの場合、社会の下層に属する者として、 瞽女(ゴゼ)と呼ばれた芸人は、さまざまな差別に耐えながら各地を広く巡業しました。
また、三都をはじめ、地方都市にも活躍し、箏曲や三味線を指南するなど、瞽女は日本の音楽文化に大きく貢献してきたのです。 近世から戦前にいたる長い間、瞽女唄は主に庄屋、名主、村の有力者宅において演奏されていました。
本講は、当時の雰囲気や音楽環境を再現することにも大きな意味を持ち、瞽女唄の再評価につながるものと期待されます。
講師略歴 /
1985年Johns Hopkins University 大学院ピアノ科博士課程修了(Doctor of Musical Arts) 1993年東京芸術大学大学院学理科博士課程修了(芸術学博士) 江戸東京博物館研究員、東京芸術大学講師、Earlham College助教授、2006年2月山梨大学教育人間科学部教授を経て現職。 「津軽三味線における即興演奏的要素の分析」(『東洋音楽研究』1993)以降,”Who Benefits?Religious Practice,Blind Women (Goze),Harugoma and Manzai ”(Japanese Journal of Religious Studies,2014)など、豊富な研究業績がある。
参加者の皆様の声
日本文化塾の講演会に出席して、毎回新たなことに興味を覚え、そのことが何となく嬉しいです。
今回は、テーマのご案内から間もなく、書店でジェラルド・グローマー著『瞽女うた』が目にとまりました。瞽女は巡業の途中で耳にしたさまざまな情報をヒントにして、門付けして歩く先々で喜ばれそうな音曲を聞き覚え、レパートリーを広げていったということを知り、瞽女の才覚とたくましさを感じました。
瞽女の門付けが行われていた時代に庶民はどのような音曲を聴いたり唄ったり、身近に感じたりしていたのか。瞽女の門付けが待ち遠しかったのか。想像ですが、瞽女は聴覚と第六感で、庶民の普段の生活の様子にも敏感だったことでしょう。MT
今回の講演会は、当初あまり興味のないものであり、殆ど期待していませんでしたが、結果的 には今まで文化塾で聞いた講演の中でベスト3に入るほどのすばらしい内容でした。
1.日本人もほとんど知らない「ごぜ」について時間をかけて調査した結果を、わかりやすく話してくださった。
2.「女性の視覚障害者で最下層の集団」という誤解をしている多くの日本人に思い込みの変更を迫っている。
3.講師のグローマーさんの経歴とはかけ離れたテーマを流暢な日本語で、偉ぶらず、楽しそうに語っており、また質問にも自信を持って答えている。
等々大変感動しました。彼のような人材はこれからもハイレベルな事績を残す事と期待しています。
こういう企画をこれからもご案内ください。HN
先日は、面白いお話を有難うございました。
瞽女という言葉は耳にあり、視覚障害の女性が各地を歌を歌って巡っていたという程度の知識はありましたが、実態については全く知らず、面白く聞かせていただきました。 ただ、それだけに1時間半という講演時間は短すぎたように感じました。
そのせいか、いつになく質疑応答が活発で、おかげで全体として少しは瞽女という制度の理解が 出来たように思われます。以前から同じようなことを申し上げているような気がしますが、私のような一般社会人としては、明治以降の西欧流近代化以前の日本の社会は、制度的にも未熟で、不安定な社会であったと思い込んでおりますが、この瞽女のように現代でも不自由を強いられている障害者が、曲りなりに自分たちの社会を造り、運営していたということは、目から鱗が落ちる思いにさせられます。
もちろん、江戸以前がユートピアであったわけではありませんが、例えば、座頭制度も瞽女の男性版で、当時の障害者救済制度であったはずで、悪質金融業者で闇の存在のような一般の印象は、是正されるべきと思います。
今後とも面白いお話を期待しております。SK
先日はありがとうございました。文化塾で取り上げられることが無ければ、このまま知らないまま、関心も持たずに過ぎてしまうテーマでした。とても良い講演会でした。
この度の講演会は「瞽女」という言葉すら知らなかった私には余韻の残る貴重なものでした。グローマー先生の流暢な日本語とその爽やかな口調から、これまで私の頭にあった瞽女への「差別と貧困のイメージ」は徐々に払拭されていきました。
五月蠅いばかりに三味線を強く叩きながら村々を廻るうちに娯楽の少ない当時では、村人からは歓迎されるようになり、瞽女は社会保障は受けていないものの、旅芸人としてのポリシーとプライドを持ちながら仲間組織を作っていった姿に、生き抜く上での必死さと力強さを感じました。
配布されたプリントの中の「終章 終わらない終わり」のページを再読しながら、現代人に相応しい瞽女唄の意味を私なりに考えてみたいと思います。MK
近世の甲信越地方で盛んだった瞽女と瞽女唄について、貴重な録音や写真・図版を紹介しながら講演された。
瞽女文化は昭和期にほぼ絶滅しており、筆者には初めての話や興味深い話が多く面白かった。音楽博士でもある講師の研究は音楽的にも歴史的・民俗学的にも本格的なもので、この分野の 最前線に立たれる。文献調査やフィールドワークには幾多の困難を伴ったものと想像されるが、講師は研究余滴を淡々とユーモアを交えて話され、感服した。HO