第39回日本文化塾 講演会
江戸を考える そのⅤ御三卿と徳川慶喜
講師 | 武子裕美氏(学習院大学大学院博士後期課程在籍、NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴん事務局長) |
日時 | 2015年1月17日(土曜日) 14:00~16:00(13:00開場) |
会場 | 玉川区民会館 第5集会室 |
参加費 | 会員 ¥1,000 / 一般 ¥1,200 |
徳川慶喜は水戸徳川家に誕生し、御三卿のひとつである一橋徳川家の当主となり、第15代将軍となった。 水戸徳川家が尾張・紀伊とならぶ御三家のひとつということは、よく知られている。 では、皆様は、慶喜が当主となった御三卿については、どのぐらいご存知だろうか。 御三卿とは、第八代将軍徳川吉宗と第九代将軍家重の子息によって成立した、田安・一橋・清水家である。 今回は、この御三卿に注目しながら、慶喜が御三卿当主、さらには将軍に就任するということの意味を考えてみたい。
講師 武子 裕美 略歴 /
2008年3月、学習院大学大学院史学専攻修了。現在は、同大学院博士後期課程に在籍し、 NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴん理事兼事務局長を務めている。専門は日本近世幕府政治史。
参加された皆様の声
私には興味あるテーマでしたので面白く拝聴しました。
御三卿の成立のいきさつ、性格、構成、歴史など詳しく報告されましたね。 江戸後期の幕府における存在感が有った家ですが、ドロドロとした人間模様の描写が一番面白いですね。
その点講師の先生が格式張らず、若さあふれるしゃべり方をされていたのは好感が持てました。 水戸の「戸定歴史館」の資料が公開されて、「水戸藩がなぜあれほど尊王攘夷の過激思想になったか」、「一橋慶喜はなぜ敵前逃亡のような施策を取らざるを得なかったか」などクリアにされるといいですね。
次回の新しいテーマを期待しています。M.H
8代将軍吉宗が子や孫のために立てた御三卿は、御三家や藩とは異なり、まとまった領地も譜代の家臣団も持たず、将軍家の部屋住みの処遇ともいうべき特異な家門であった。
この御三卿の歴史は、歴代養子縁組が多く、将軍や大藩の藩主を出したり、また当主がいないと暫時「明家形」になったりと、複雑で変化に富んだものである。講師は御三卿の成立から幕府崩壊後までを、史料に基づきまた最新の学問成果を踏まえて丁寧に説明され、他所で聴くことの少ない話だけに興味深いものであった 。O.H
御三卿は江戸文化に影響が少なかったことが理解できました。 人物の覚えきれない名前だけが頭を横切りました。それより田沼意次とか松平定信の方に興味が引かれました。K.I
実は、小生は茨城県出身で、今回のテーマは楽しみにしておりましたので興味深く拝聴させていただきました。
武子先生は、常陸太田のご出身と伺いまして大変親近感を感じました。 現在の水戸の一橋 徳川家の徳川宗親氏の夫人は小生の縁戚から嫁いでおりますので尚更興味津津でした。徳川記念財団の会合や、漢字文化振興協会・藩校サミットなどで、徳川宗家や水戸徳川の徳川斉正様にもお会いする機会はありますが、慶喜公の曾孫の将軍コーヒーで有名な徳川慶朝様には未だお会いしてないので、機会が有りましたらお目に係れれば光栄だと思いました。まだまだお若い武子先生が近世史をご専門にされて、なかんずく田沼意次さんを研究されるきっかけになったとのお話は、歴史の見方は色々あるのだろうと改めて、人物の評価等も含めて歴史を学ぶのは大切であると今更ながら認識致しました。 何時も色々と時宜を得たテーマ、ご準備等本当にお世話になり感謝申し上げます。
簡単ですが、感想とさせていただきます。H.M